活字,ラジオ,TVとメディアが遷り変わることによって,人は想像的感覚,時間的感覚,空間的感覚を増殖させていきました[1].初期のメディアの段階は,活版印刷による活字情報です.情報の伝達と記録のみならず,想像をもって楽しませてくれます.これは映像を持たない故の魅力です.発進時と受信時の時間的ずれがいっそうそれを助長するでしょう.
次のメディアはラジオでした.活字を聞くというつまり他人が読む,効果音が入るという音色や声の抑揚,BGMなどに代表される2次的媒体が入ることによって聴覚への刺激は,マクルーハンがいうところの「ラジオは熱いメディア」であると述べているように[2],想像をよりいっそう増幅する方へと向かわせました.ラジオは,大多数の人々に対して親密な一対一の関係をもたらし,話し手と聞き手との間に暗黙の意思疎通の世界を作り出すのです.
3つ目のメディアは,TVです.動きを伴った画像は,活字を見るだけの視覚とは異なり,空間的,時間的奥行きを与えました.与えられ受けるという感覚の増大は想像力をも増します.更にエージェント(代理人)としての役割を担い,自分の欲求を満たしてくれるという満足感と,奥行きのある3次元の表現は,その地点に身を置き,身体と事物との,更に事物と事物とのリアルな空間的位置関係を体験させてくれるのです[3].それはTVの中の時間・空間は自分の存在とは離れたところでありながら,いとも簡単にその時間・空間を共有している感覚にしてくれるということです.更に,あらゆるものが同時に存在する世界[4]でもあります.空間の共有は時間の共有を越えて存在を許容してくれるのです.勿論,メディアが発達するにつれてすべての感覚とそれに伴って感性が増幅されるのではなく,新しいメディアの出現と発達は,新しい感覚麻痺とともに,新しい感覚閉鎖をも生じさせました[5].
心理学者のショート(1974)は,異なった意見をもった二人の人間が,相違点を解消すべく議論する場合,使用するメディアの違いによって意見の収束の仕方に違いがあることを示しています.相手の顔・表情を見ることができる状況よりも声だけの情報の方が,互いの意見の歩み寄りが生じやすいことを示しています.聴覚情報しか手がかりにするものがない電話の場合の方が,互いの意見内容にのみ注意を集中し,相手の論拠を冷静に評価することができるのです[6].つまり,情報量の多いマルチメディア情報がどのような場合にも効果的であるというわけではないのです.目的にあった感覚情報を扱うことが必要なのです.
[1]岡崎 章:「デジタル・センス」,東北芸術工科大学紀要NO.3,pp.46-51,1996
[2]M・マクルーハン:「メディア論」,みすず書房,pp.310-311,1996
[3]植村完司:「知覚のリアリズム」,勁草書房,p65,1994
[4]中村雄二郎:「共通感覚論」,岩波現代選書,p60,1990
[5] M.マクルーハン:「マクルーハン理論」メディアの理解,サイマル出版,p71,1981
[6]湯田彰男・古川貴雄:“感性・マルチメディア・バーチャルリアリティ”,「感性工学への招待」篠原 昭・清水義雄・坂本 博 編著,森北出版,pp.124-138,1996
※ 本文は,「デザインにおける感性の働きに関する研究」岡崎 章(本サイト管理者)の博士論文 PP.30−31の内容を分かりやすく述べたものです.